私は専門時代にビジュアルデザイン(主に平面のデザイン)を選考していた。
そして結果的にそれを選考していてとても良かったと思っている。
その理由の一つに、「物事を見る視点を養えた」ということがある。
ビジュアルデザインはグラフィックデザインとほぼ同じ意義として使われることが多いけれど、
グラフィックデザインはビジュアルデザインの中にあるうちの一つ、と私は認識している。
グラフィックデザインというと「パソコンでやるデザインだよね」とか、「おしゃれなパッケージにするためのデザイン」とか「グラフィックデザインって、ソフトとかを使いこなすかっこいいデザインのイメージ」とか色々なことを言われる。
確かに私自身もmacでアドビのソフトを使うことは最終アウトプットでは必須だと思っているし、
グラフィックデザイナーの方が結果的に「おしゃれ」と言われるパッケージや、かっこいいフライヤーをデザインしてきているのも見ている。
それはおしゃれなものを作ろう!から入っているのではなく、世界観の統一や問題解決など、色々な手段を試みた結果、結果的におしゃれに見える、が正しい気がする。
一方で、そのような人の目に触れる最終段階の部分は、たくさんある問題解決の中のほんの一部なのだろうと思う。
私がビジュアルデザインを学んで良かったと思うことの一つに「物事を見る視点が変わった」というのがある。
ビジュアルデザインは、ありふれたモノやヒトなどの対象を「特別」にすることのできる手段の一つだと思う。
同じものでもビジュアルデザインを施されたものとそうでないものとでは、だいぶ見え方が変わる。
特に欧米のデザインは最終アウトプットまでが実に上手なものが多いように思う。
一方で日本でよくあるのが、物はすごく良いしマーケティング的なロジックも正しいけど、
最終アウトプットが微妙、というのが多い気がする。(これについてはとてもわかりやすく書かれた本があるので、後々紹介したい)
今この記事を見てくれている方は、何を基準に購入するものを選んでいるだろうか。
「この服を着ると自分がおしゃれに見えそう」「品質が良さそう」「このブランドの世界観に魅かれる」「この野菜は生産者の顔が見えるから安心」「以前買ってよかったから」「○○がオススメしていたから」などなど理由は様々だと思う。
私の場合、ものを買うときはその物自体が良いということは大前提として、
パッケージ、お店の雰囲気、文章、文字、そのものが作られた背景、作った人、価格、など
色々な情報から全体的な雰囲気を読み取って、
購入に至っていると思う。
あと、最近はそのモノが「自然環境に良いか」会社が「自然環境に良い取り組みをしているか」ということも、
なるべく気にしながら選んでいると思う。
曲がりなりにも専門の時にグラフィックデザインを学んでいたので、どうしても最終アウトプット(見せ方)がきちんとしていない商品には少し不安が芽生えてしまう。
例えば、ウェブサイトの文字組(文字の配列)が美しくない、とか、パッケージが美しくない、とか、
これはもう人によっては物がよければそれは気にならないでしょ、と言われそうな気もするくらいのこだわりもある。
これはつまり「自分の視点でものを選んでいる」ということにつながる気がする。
日常で生きていく中で自分が選ぶものは自分の感性にぴったりのものであってほしい。
「なんでこれを身につけて生きているんだろう」となるのはできるだけ避けたい。
つまり自分のマインド(生きかたの部分)=消費するもの に限りなく近い状態がベストとも言えると思う。
一つ、去年あった出来事で例外があった。
実は去年、わけがあって2回手術をするために入院をした。
その時に病室にある上下に自在に動くベッドや、ピンク色のカーテン、可動式のテーブル、
色々な機能を感じる物がたくさんあった。
それらは普段の私が絶対選ばないような色だったり、デザインだったりしたけれども、
使いやすく、それなしには動くこともできなかった私にはとてもありがたかった。
ごはんも、本当に普通の病院食で、昔からあるような白米・焼き魚・お味噌汁・副菜、のようなちょっと懐かしい感じ。
病院食は人によって配膳されるものが微妙に違う。
自分の体のことを考えて作られているのが伝わってきて、そのごはんがとても温かく、美味しく感じた。
今でも家で自炊するごはんは、その時食べた物がインスピレーションになっている。
そして、看護師さんたちも、お風呂も入れなくてパジャマのような部屋着を毎日のように着ているボロボロの私に、
とても優しく、できないことは全てサポートしてくれた。
その瞬間、今までの価値観がガラッと変わって、もう最終アウトプットがいいとか、どうでもいいな、と。
何か人のためになる本質的なことの方が全然大事だなと思ってしまったのだ。
ある意味それの方が美しいものとも言える。
退院し、健康になるにつれて、上に書いたようなデザインの中の最終的な見た目まで美しいものと、
機能が重視されるものとのバランスをよく考えるようになった。
健康なときはやっぱりきちんと見た目までデザインされたものに魅かれている自分がいつつも、
内容や中身をよりしっかり見るようになった。
と同時に自分がああ、健康って良いな、と感じるのであった。