友人に頼まれ、撮影の通訳のお手伝いをしてきた。
とても貴重な機会で、いくつも興味深いお話あったので、メモがわりに記したい。
撮影監督とフォトグラファーとしてパリとイギリスベースで世界的に活躍されている方が、
お仕事で来日しているときにたまたま友人を美術館で見かけ、
参加型のアクティビティではしゃいでいる姿がその友人のキャラクターを強く表していて、それにインスパイアされたらしい。
「自然体」と一言で言ってしまうとあまりにも単純すぎるけれども、ポージングをするモデルさんよりも、
生活する人々の、そして主に女性の「普通」の生きている姿を撮りたいそうだ。
通訳をしながら撮影現場を見ていたのだが、「もっと、睡眠に入る手前のような感覚で」と指示出しをした時にとても共感した。私もイラストを描くにあたって、女性の自然体な姿を眠る直前のような現実と夢を行き来するような感覚になっている女性の雰囲気がとても好きでそれを表現したいので、
やっていることは違うものの(そして向こうは私よりはるかに先輩なものの)うんうんわかるなぁと感じたのだった。
普段日本人としては当たり前のように感じているような場所を「面白い場所がたくさんある!」
と言いながら子供のようにはしゃぐ姿が印象的で、
それは自動販売機の隣にある車の精算機の上にかぶさっている雨よけカバーの色味や、
オフィスビルの一角や、ガラスにかぶさっている工事中らしきビニールカバーの前など。
天井の低いトンネルみたいなスナック通りだったり。
撮影した写真をその場で見せてもらうと、これが本当に美しい。
そんな普通の日常をとても美しく撮りたい、とも彼は言っていた。
その感覚を通訳しつつも、色々な場所でかなりのベストショットが出来上がっていた。
彼の撮る私の友人は、写真であり映画のようでもある。
聞いたところ、映画のような写真を撮りたいと思っているそうだ。
写真は、撮る場所が主役なのではなくて人と人が出会って撮影現場が生まれる、
人と人のケミストリーがあって、それこそが撮影すべき材料になる。
人と人が引き合って、そしてその場所で偶然生まれるから場所は関係なく撮影現場がある。
うーんプロフェッショナルとはこういうものかと。
女性にインスパイアされるので女性を描きたいけれども、
他のものも描いた方がいいんじゃないかとか、ブレがあると相談するタイミングをいただけた時、
描かなくていいと思う、とのアドバイス。なんだか重みがある。
あと、色々なところを行ったり来たりしていてもいいんだ、とも。
前職が嫌になって急にパリに行ったということも、勇気になった。
そのあと彼の友人であるフランス人の撮影監督の方と合流し、4人で飲みに行く。
(私は飲めないのでトマトジュース)
日本の映画がお好きとのことで、某監督や某監督にも会ったことがあるとのこと。
私の友人も、私も、撮影監督さんも、それぞれプロフェッショナル歴は違えど
類は友を呼ぶというか、やはり少し同じような雰囲気を好む傾向にある気がして、
だからこそ引き合って、引き合うことによって何か生まれるような感覚が確かにあった気がする。
彼は根本的な普遍的な部分を的確にキャッチしていて、それを美しく落とし込む。
私も、クリエーションの部分で表面的なものではなくそうありたいと思った。
深夜の寝ぼけた状態でこの気持ちを忘れたくなくて書き殴った。
インスパイアされることの多い、そして英語力!もっと!なんならフランス語も!と思った1日だった。